史跡巡りツーリングで「吉見百穴」へ!

土曜日の読売新聞に「吉見百穴」の特集ページを読んで、いにしえの史跡でもある埼玉県の吉見を訪ねてみた。


【東向きの山肌にいくつもの穴】

明治時代に初めて、ここ「吉見百穴/よしみひゃくあな」が古代人の墓であったことが分かった。住居ではないかとも見られていたが発掘調査から墓であったことが鮮明したようだ。


【保存状態も良く保たれている】
穴はすべて東を向き、穴の奥から出口に向かって水はけのための傾斜になっている。乾燥維持を考えて掘られていたと思われるそうだ。


【大きな穴のいくつかは四角面に仕上がっている】


【この穴に入ってみることが出来た】


【穴の中には左右には寝床のように】


【大東亜戦争時に軍需工場であったことも】

東京・武蔵野市の中島飛行機工場が爆撃に遭い、それを補うため、ここ吉見百穴の地質からこの地下に軍需工場となる大規模な洞窟を造る。
それは昭和19年頃、朝鮮人労働者を50人雇い日夜交代での突貫作業であったという。


【航空機の軍需工場だったようだ】

史跡を訪ね、その場に立って感じたり分かることができる。吉見百穴もそうであったが、古代人の墓穴であったが地理的条件や地質から、大東亜戦争時に航空機部品製作を目的にした軍需工場を、地下に造ったという歴史的事実を今回初めて知った。


【岩殿山 安楽寺(吉見観音)】

埼玉県でも珍しい三重塔が吉見百穴の近くにあった。これまたいにしえの岩殿山 安楽寺である。

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